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自傷行為
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自傷行為に苦しむ人々への希望と助け

福音は、自傷行為に苦しむ人々が切実に求めている、一時しのぎではない安堵と助けをもたらします。

あざのある肌、抜きすぎてまばらになった眉毛やまつげ、裂けた爪、そして自分でつけた切り傷の跡。これらはいずれも、自傷行為に苦しむ人々が行うさまざまな行為の結果として見られることがあります。多くの場合、心配する家族や親しい人たちは、その行為に気づいたとしても、身近にいるその人をどう理解したらよいのか分からず思い悩みます。たいてい、真っ先に浮かび、その後も心から離れない疑問はこうです。「なぜ、わざと自分を傷つけるのか。」

精神疾患と決めつけない:自傷する人は「おかしい」わけではない

私がこれまでカウンセリングしてきた自傷行為に苦しむ人々の心に、主が働いてくださるのを見てきました。彼らには、なぜ自傷行為を繰り返すようになったのかについて、非常にはっきりした動機があります。彼らは、人生の痛みに対処するための手段として、自傷行為を用いているのです。自傷という深刻な問題は、精神的な苦痛をしのぐための「対処手段」であり、重大な危険を伴います。

身体的には、その傷が、より深刻で長期にわたる健康問題につながる可能性があります。精神的には、自分を傷つけることで、人生の痛みや絶望、失望が一時的に和らぐように感じられます。本人にとっては、その方法の方が痛みに対処するうえで納得できるように思えるのです。霊的には、自分を苦しめることで自分の罪を償おうとする、偽りの方法となります。これらは、実際には誤ったものですが、本人には自傷行為によって得られるのように思え、自分を傷つける理由にもなっているのです。自傷行為は、心身ともに「依存」に近い状態となり、人を縛りつけ、習慣化してしまうことさえあります。

自傷行為に苦しむ人にとって、自分で自分に与える身体的な痛みは、その時に抱えている感情的な痛みを表し、それを抑え、身体的な痛みへと移し替えるための方法です。その思考のサイクルは、薬物依存に似ています。そこには、これから起こることに対する高ぶりや期待感さえあります。そして、その行為に及ぶと、身体は、切る行為や自傷行為に反応して、体内で痛みを和らげる物質を作り出します。

この件で私のところに助けを求めてきた人々は、精神疾患があるわけではありません。私は相談者たちが、痛みをこのように扱うことは、神が意図された痛みの扱い方ではないと分かるよう助けています。神は、痛みを和らげる仕組みを、私たちの身体に備えてくださいました。これは人に対する神の恵みです。しかし、自傷行為に苦しむ人々は、感情的な痛みを一時的に和らげる方法として、自分を傷つけることで対処するようになってしまったのです。

目標を変えなければならない

聖書カウンセリングでは、「表に現れている問題は、根本的な問題ではない」と言います。言い換えれば、自傷行為という外側の行動だけを問題の中心として見るのではなく、その背後にある心の動機こそが、相談者にとって見つめるべき問題なのです。自傷行為に頼りたくなる場面は、これからも訪れるでしょう。しかし、一時的に苦しみを和らげることが、心を動かす第一の目標であってはなりません。目指すべきものは神の栄光であり、それこそが、自傷行為と闘う人の心を導く動機とならなければなりません。

旧約聖書の時代、まことの神を知らない人々は、愛する人を失った深い悲しみや痛みを表現する方法として、葬儀の際に自分の身体を切り傷つけていました。彼らには永遠のいのちへの希望がありませんでした。信頼すべき贖いの約束もありませんでした。罪の赦しを信じることができる福音の知らせも持っていなかったのです。それゆえ、神は愛をもって命じることで、ご自分の子どもたちへの愛を示されたのです。痛みや死、悲しみ、苦しみに対して、神の栄光のために、より良い方法で応答するよう命じられたのです。

神は、ご自分の民が、死者を悼むこの世の虚しい習わしから離れ、神のために生きる祝福を経験することを望まれました。今日、自傷行為に苦しむ人が目指すべきものも、これと何ら変わりません。この世の習わしから離れ、主の栄光を現す選択をすることです。それは何よりもまず、永遠に関わる選択です。主に従う歩みには、一時的な益や祝福が伴うこともあるでしょう。しかし、それらを神に従う理由にしてはなりません。

福音による希望と助け

神の道に従って生きることで神を愛することは、神を親しく知り、深く信頼することと常に結びついています。自分の感情に左右されず、唯一まことの生ける神に従うには、信仰が必要です。多くの場合、自傷行為に苦しむ人の行動の根底には、支配したい欲求と自己依存があります。しかし、良い聖書カウンセラーは、相談者が神のみことばを探究し、外側の行動を通して自分の心の動機を見極め、神をあがめる新しい応答によって神を喜ばせることを学べるよう助けます。

申命記 14章1〜2節で、神がご自分の子どもたちに示された愛と同じように、自傷行為に苦しむ人も、次のことを思い起こす必要があります。

「あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。」

聖書カウンセラー、親身に関わる友人、親、助言者、そして牧師として、皆さんには、人々をキリストにある永遠の希望へと指し示す特権が与えられています。彼らを世俗的な心理学の専門家のもとへ送るだけで済ませてはなりません。むしろ、自傷行為に苦しむ人へのカウンセリングを、愛をもって真理を語りながら手を差し伸べる機会として捉えてください。その人は、隠れた痛みと闘い、その痛みを自傷行為によって一時的に和らげようとしているのです。皆さんには、神のみことばと聖霊が与えられています。そして、私たちを変え、キリストに似た者へと造り変えてくださる、イエス・キリストによる救いの恵みの福音が与えられているのです。

【翻訳に関する留意事項】 本記事の日本語訳は、認定聖書カウンセラー協会 (ACBC)の許可を得て作成されました。ACBCは本翻訳の作成を承認しておりますが、翻訳の正確性、完全性、あるいは表現の適切性については、一切の責任を負いません。 内容に相違がある場合は、英語の原文が公式な正本として優先されます。原文はこちらからご覧いただけます。

Translation Disclaimer: This translation is produced with permission from the Association of Certified Biblical Counselors (ACBC). While ACBC has granted permission for this translation, they are not responsible for the accuracy or quality of the translation. The original English text remains the official version and can be found here: Hope and Help for Self-Injurers

聖書:新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

  • マーク・ショー(Mark Shaw)は2002年にACBCの認定資格を取得しており、フロリダ州ジャクソンビルのファーストバプテストチャーチ・ノカティー・キャンパス(First Baptist Church of Jacksonville, Florida- Nocatee Campus)のカウンセリング担当牧師を務めています。

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