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「妻がすべてにおいて夫に従う」ことの適用をどのようにすべきですか?
妻の考えや祈りの結果をやむなく捨てるということでしょうか。
質問
エペソ 5:22「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」5:24「教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。」とあります。そこで「従う」ことについて、実生活で困惑することが多いので教えていただきたいです。
例えば、夫は子どもを公立の学校に入れたい、妻は私立の学校に入れたいとします。色々と調べたり、メリットデメリットなどをよく考え祈った上でも夫婦で意見が合わない時には、やはり最終的には夫の意見に従うということでしょうか。その場合、妻の考えや祈りの結果をやむなく捨てるということでしょうか。「妻がすべてにおいて夫に従う」ことの適用を具体的にどのようにすべきなのかいつも悩みます。
アドバイス
夫と妻は、同じクリスチャンであっても、物の考え⽅や⾒⽅、好み、また経験によって違いが出てくると思います。まず、エペソ 5:22 を⾒てみましょう。ここでパウロは、「主に従うように」と述べています。ですので、すでにご存知だと思いますが、夫が妻に罪を犯すよう求める場合には、妻ははっきりと断るべきです。ただし、その場合にも妻の⼼の態度は⼤切です。
つまり、夫婦で意⾒が異なるときも、相⼿を尊重しながら⾃分の考えを伝えることが⼤切で す。基本的には、夫婦の間で意⾒の⾷い違いがある場合、妻は助け⼿として、⾃分の意⾒や考えを夫に伝えます。それは間違ったことではなく、むしろ⼤切な役割です。ですから、妻が⾃分の考えや祈りの結果を捨てる、ということではありません。
その上で、夫が妻の考えを聞いたにもかかわらず、⾃分の考えで進むと決断することがあります。そのとき、妻は選択に迫られます。「私の考えの⽅が夫より正しい、良い」と思うと、もし夫の選択の結果が思わしくなかった場合に、「それみたことか。私の⾔う通りにすれば良かったのに」と思いやすいでしょう。この思いを神の真理によって取り扱わないなら、怒りや不満が⼼の中に残り、それがやがて態度や⾔動に現れてくると思います。
ですので、妻が何も考えずに従うということではなく、よく祈り、よく考え、必要なことを夫に伝えた上で、罪の問題でないなら、その決断を神の前で委ねることになると思います。その意味で、罪の問題でない限り、最終的には夫の選択に従うことになります。というのは、妻は助け⼿として、⾃分の考えをきちんと述べました。そして、夫はかしらとして決断を下しました。その決断そのものが常に最善であるということではありませんが、その決断も神の主権の外にあるのではなく、神はその結果をも⽤いて、夫婦それぞれに学ぶべきことを与えてくださいます。
箴⾔ 16 章を⾒ると、⼈の計画と神のみこころがどのように関わっているかを垣間⾒ることができます。1 節には、「⼈は⼼に計画を持つ。しかし、⾆への答えは主から来る」とあり、33節には、「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る」とあります。ですから、たとえ⼈の決断が不完全であっても、神はその上にも主権をもって働かれます。そして、たとえ結果が思ったほど良くなかったとしても、神はそのことを⽤いて、私たちを成⻑させてくださいます。
基本的に、罪の問題でない限り、最終的には夫に従うことが妻の務めです。しかし、その際に妻が特に気をつけるべきなのは、⼼の態度です。というのは、外側では従っているように⾒えても、神は⼼を⾒ておられるからです。ですから、ここでも妻には霊的に成⻑する機会が与えられていると⾔えると思います。
聖書:新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

