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祈りを生み出す真理

どれほど多くの方法を考え、どれほど言い訳を並べたとしても、祈らないという問題の本質は、結局、心にあります。

祈りは、ほとんどすべてのクリスチャンにとって、なお継続的に取り組む必要のある課題だと言えるでしょう。実のところ、そのことを認めるのは、それほど難しいことではありません。問題はむしろ、私たちが祈らない背景に、神について、そして自分自身についての誤った考え方があるということです。そして、その事実を認めるほうが遥かに難しいのです。私たちは生まれながらにして、不信仰と自己依存へと傾く性質があります。こうした傾向が、しばしば私たちを祈りから遠ざけてしまうのです。

私たちが神のことばに目を向けるとき、第一サムエル記の冒頭には、「祈れなさ」を解きほぐすヒントが見えてきます。

第一サムエル記は、シロの町で涙を流す一人の女性の姿から始まります。彼女の名はハンナ。その生き方は、多くのことを私たちに教えてくれます。ハンナの物語を丁寧に追っていくと、やがて、私たちは神の変わらぬ誠実さを知るようになります。そして、神のご性質こそが、私たちの祈りに火をともすのだと気づかされるのです。もしハンナが「祈りの学校」の教師だとしたら、祈りを継続するために必要な三つの確信を、きっと私たちに教えてくれることでしょう。

1. 神に拠り頼む自分を認めること

私たちが深めていくべき確信の一つは、神とその恵みに拠り頼んでいる自分を、はっきりと認めることです。罪ある被造物である私たちは、主を必要とする存在です。その理解が心にしっかりと据えられていなければ、祈りを継続することはできません。以前、ある説教者がこう言っていました。「クリスチャンが祈らないということは、神からの『独立宣言』である」と。祈りをおろそかにするとき、私たちは知らず知らずのうちに、聖書の教えとは正反対の自己依存の姿勢を示しています。だからこそ、「自分は大丈夫」と装うのではなく、むしろ、自分は助けを必要としている存在なのだと、正直に認めるところから始まるのです。

ハンナの生き方にも、「神に拠り頼む」姿がはっきりと表れています。物語の冒頭で出会う彼女は、子どもを授かることができないという現実に、深く傷つき、打ちのめされていました。さらに追い打ちをかけるかのように、彼女の夫は、彼女の痛みに寄り添うよりも先に、思わず「今年度・最も空気の読めない発言賞」を贈りたくなるような言葉を、ハンナに投げかけます。「ハンナ、なぜ泣いているのか」と。(Iサム1: 8)。ここで、このブログを読んでいる夫の方へひと言。奥さんが泣いているのを見かけても、決して「君はどれほど恵まれているか(だって、僕がいるじゃないか)」などと説得しようとしてはいけません。さらに事態を複雑にしていたのは、夫がもう一人の妻、ペニンナを迎えていたことでした。彼女には子どもが与えられており、ペニンナは執拗にハンナをあざけり、苦しめていました(Iサム1:6-7)。

こうしてついに、ハンナは砕かれます。状況も、家族も、周囲の人々も、誰ひとり彼女に希望を与えることはできませんでした。その苦しみはあまりにも深く、食事ものどを通らなくなるほどでした。しかし、その苦しみの中で彼女は悟ります。自分が走って行ける場所は、ただ一つしかないということを。そして彼女は、恵みの御座を目指して、まっすぐに走って行きます。

2. 神が私たちを深く慈しんでおられると信じること

私たちは、自分が神を必要としていると知るだけでは、十分とは言えません。神が私たちを深く慈しんでおられることを信じなければならないのです。私たちの叫びが、やさしく愛に満ちた父なる神に確かに届いていています。その確信を抱くことが大切なのです。神は、ただ恵みによって、私たちが抱く恐れも、失敗も、切実な願いも、深い悲しみも、すべて、ご自分のもとに注ぎ出すよう招いておられます。それによって神が動揺したり、困惑したりすることはありません。むしろ、ご自分の子どもたちの声に耳を傾けることを喜んでおられるのです。

ハンナは、主の前に自分の心を注ぎ出しました(Iサム1: 15)。それは、神がご自分の子どもを顧みてくださる方であると信じていたからです。旧約聖書の学者デール・ラルフ・デイヴィスは、ハンナの必死な祈りと、神がご自分の子どもを顧みてくださる方であるという彼女の信仰との結びつきを、次のように語っています。「ハンナは、万軍の主、すなわち宇宙を治め、あらゆる力を支配する主に向かって呼びかけていた。そして、エフライムの山地に住む、名も知れぬ一人の女の砕かれた心が、その主にとって大切な意味を持つのだと、疑うことなく信じていたのだ。」

ハンナの祈りはあまりにも切実で、周囲の目には普通ではないものに映りました。その場にいた祭司は、彼女が酒に酔っているのだと誤解したほどです(Iサム1:14)。しかし、祭司がハンナの状態を推し量っていたそのとき、宇宙を治める主ご自身は、彼女の訴えに耳を傾けるために、身を乗り出しておられたのです。

3. 神の主権を信頼する

神は深く慈しんでくださるだけでなく、主権者でもあられます。それは、神ご自身がみこころのままに、望まれることを成し遂げることができるお方だということです。神には、どのような願いにも応える力があります。もう祈ってもダメだと諦めかけていた人を救うこともおできになります。あなたの子どもを、最も深い罪の束縛から解き放つこともおできになります。壊れてしまった人間関係を回復することも、深い苦しみの中で慰めを与えることも、おできになるのです。

神の主権に対するハンナの信頼は、彼女が神にどのように呼かけたかを見るとよく分かります。彼女は神を「万軍の主(ヤハウェ)」と呼びました。それは、神が全宇宙を支配しておられるお方であることを示す称号です。神は、天の全ての軍勢を指揮される主権者であり、あらゆるものを統べ納めておられるお方なのです。ハンナの心には、「彼女の胎を閉ざされた方」(Iサム1:5)こそが、その状況を覆す力を持っておられるという、揺るぎない確信がありました。神の主権を信頼していたからといって、彼女が「神が主権者なら、祈る必要などないのではないか」といった無関心な態度に陥ることはありませんでした。むしろ、神が主権者であることを知っていたからこそ、彼女は祈りへと駆り立てられたのです。

結論

どんな予定表も、どんなアプリも、どれほど多くのアラームも、私たちのうちに祈りたいという願いを生み出すことはできません。実際、ハンナが主のもとへ走ったのは、「今日のディボーションをしていなかった」と気づいたからではありませんでした。彼女は、主が働いてくださらなければならないと、はっきり確信していました。そして、主は彼女の祈りに耳を傾けてくださると固く信じ、神には自分を救い出す力があると、揺るぎなく信頼していたのです。だからこそ、彼女は主のもとへ走ったのです。同じように、私たちもこれらの真理に身を委ね、主の御前に自分の魂を注ぎ出したいという願いが、少しずつ育っていくのを見いだそうではありませんか。

【翻訳に関する留意事項】 本記事の日本語訳は、公認聖書的カウンセラー協会 (ACBC)の許可を得て作成されました。ACBCは本翻訳の作成を承認しておりますが、翻訳の正確性、完全性、あるいは表現の適切性については、一切の責任を負いません。 内容に相違がある場合は、英語の原文が公式な正本として優先されます。原文はこちらからご覧いただけます。

Translation Disclaimer: This translation is produced with permission from the Association of Certified Biblical Counselors (ACBC). While ACBC has granted permission for this translation, they are not responsible for the accuracy or quality of the translation. The original English text remains the official version and can be found here: Truths to Motivate Prayer

聖書:新改訳2017©新日本聖書刊行会

  • カイル・ガンゲル (Kyle Gangel) はサウスダコタ州カスターにあるサザンヒルズバイブルチャーチの説教牧師であり、公認聖書的カウンセラー協会に属する聖書カウンセラーです。

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