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聖書学者としての聖書カウンセラー

良いカウンセリングを行うために欠かせないのは、私たちの神がどのようなお方なのか、そして神が何を語っておられるのかを深く知ることです。

彼女は、涙も出ないほど深く沈み込んだ様子で、テーブルを挟んで私の前に座っていました。私は何も言わず、静かに彼女のカップに熱い紅茶をもう一杯注ぎました。やがて、彼女は暗い瞳を上げて私を見つめ、こう言いました。「私の娘が命にかかわるほどの病気なのは、全部私のせいなんです。」

表情には出さないようにしながら、私の頭の中では様々な考えが一気に巡りました。

  • アレルギーのある食べ物を誤って与えたのだろうか。
  • 毒でも盛ったのか。
  •  虐待だろうか。
  • いったい何が起きているのだろう。

私は必死に導きを祈り、優しく尋ねました。「それは、どういう意味ですか?」

「私に十分な信仰がないからです。」 彼女は椅子にもたれかかるように崩れました。「娘を治すための信仰が、私には足りないんです。」

私は戸惑いを隠せませんでした。彼女はそれに気づき、苛立った様子で続けました。 「知っているでしょう? 『……その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた』って。第一ペテロにそう書いてあります。私の信じる力が足りないから、娘は治らないんです。」

ようやく、彼女が何を言おうとしているのかが分かりました。私は彼女に、聖書を開いて、第一ペテロを一緒に読もうと提案しました。彼女は第一ペテロ2章24節の後半を指さして読みました。「ほら、ここにあるでしょう! だから全部、私のせいなんです!」

私は静かに言いました 。「お願いです。少し前のところからもう一度、一緒に読んでみましょう。」

この例では、聖書カウンセラーが聖書学者であることの重要性を示しています。公認聖書カウンセラー協会(ACBC)の認定を受けるために、カウンセリングの試験だけでなく、神学の試験も求められているのは、このためです。良いカウンセリングを行うためには、私たちの神がどのようなお方であり、何を語っておられるのかを正しく理解していなければなりません。

神学的訓練の必要性

相談者の多くは、誤った教えや、神あるいは聖書についての不十分な理解によって苦しみ、私たちのもとを訪れます。人を支配する目的でみことばが歪められて用いられ、その結果、「霊的虐待」によって深く傷ついている人も、中にはいます。私たちは、相談者がみことばを正しく理解できるよう助けるだけでなく、カウンセリングを通して、彼ら自身が、みことばを正しく読む力を身につけていけるよう導くことも大切なのです。

今の時代への適用を考える前に、次の点を理解することが欠かせません。組織神学、時代背景、文章の種類、著者と当時の読者、そして、その箇所が本来伝えようとしている意図です。私たちの助言は、聖書箇所の本来の意図を反映したものであるべきです。これらすべてを最初から相談者と一緒に確認するとは必ずしも限りませんが、時間をかけて、相談者自身がこうした視点を持てるように導いていくのです。

聖書の理解を助け、希望をもたらす

では、この心が打ち砕かれている女性を、どのように助けることができるでしょうか? まずは声に出して祈り、聖霊がみことばを照らしてくださるように求めます。そこから、聖書が語る「病気」について理解していきます。確かに、罪が原因で病気になる場合があることは事実です(詩篇38)。しかし、病気が常に罪から生じるわけではありません(ヨブ記及び1テモテ5:23参照)。

では、第一ペテロのこの箇所は何を意味しているのでしょうか? 誰が、誰に向けて書いた手紙なのか、それを知ることは、手紙全体の目的を理解するうえで重要です。簡単な背景を説明した後、宿題として、第一ペテロ全体を読むことを勧めます。(手紙というものを、たった一行だけ読んで理解しようとする人がいるでしょうか。)

癒しについての聖書的理解と神学的指導

翌週の話し合いは、第一ペテロのテーマ「苦しみの中にある神の目的」から始まります。彼女に大きな痛みをもたらしていたその箇所を見てみると、それは健康について語っているのではなく、「苦しみを受けるしもべ」(イザヤ53:5)としてのイエスの苦しみを示している箇所であることが分かります。この箇所は特に、不当な主人のもとで苦しんでいた奴隷たちに向けて書かれたものです。ペテロは彼らに、苦しみの中にあってもキリストを映し出す生き方をするよう勧めています。それは、いつの日か主人が救いに至る信仰を持つかもしれないからです。

私は彼女にこう説明しました。「神様が娘さんを治してくださるかどうかは、私には分かりません。でも、癒しを求めて祈ることは、もちろんできます。ただ、第一ペテロで約束されているのは、神が私たちの苦しみを通して働かれ、私たちを聖め、聖なる者としてくださるということです。そして、第一ペテロに記された苦しむ人々と同じように、私たちを苦しみの中にある証人として用いてくださる、ということなのです。

聖書カウンセラーが、苦しんでいる兄弟姉妹に知恵ある助言を与えることができるのは、注意深い「釈義」を通してのみです。みことばを丁寧に、そして祈りをもって学ぶ中で、私たちは神がどのようなお方であるかを知ることができます。それは、大きな喜びです。さらに、神がご自身について語っておられることが、相談者の置かれている状況とどのように結びついているかを示す中で、神の働きを見ることができるのは、真の祝福です。

【翻訳に関する留意事項】 本記事の日本語訳は、公認聖書カウンセラー協会 (ACBC)の許可を得て作成されました。ACBCは本翻訳の作成を承認しておりますが、翻訳の正確性、完全性、あるいは表現の適切性については、一切の責任を負いません。 内容に相違がある場合は、英語の原文が公式な正本として優先されます。原文はこちらからご覧いただけます。

Translation Disclaimer: This translation is produced with permission from the Association of Certified Biblical Counselors (ACBC). While ACBC has granted permission for this translation, they are not responsible for the accuracy or quality of the translation. The original English text remains the official version and can be found here: The Biblical Counselor as a Biblical Scholar.

聖書:新改訳2017©新日本聖書刊行会

  • エリザベス・アラン (Elizabeth Allan) は、公認聖書カウンセラー協会 (ACBC) 公認の聖書カウンセラーです。彼女はセンター・シティ教会に集い、主を愛し、仕え、礼拝することを喜びとしています。

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