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あなたは祝福を受けたいですか?
神のみことばを聞き従うことは、そうする者に計り知れない祝福をもたらす。
あなたは祝福を受けたいと思いますか。イエスは、どのような人が祝福されるのかをはっきりと教えておられます。今週、自分の学びの中でそのことに気づき、繰り返し思い巡らしてきました。イエスが語られた言葉に注目してみてください。
「しかしイエスは言われた。『いや、むしろ、神のことばを聞いて、それを守る人たちは幸いです。』」(ルカ11:28)
この言葉を前後の文脈の中で読んでみると、その理解はいっそう深まります。今日は、その背景を丁寧にたどりながら、この箇所がもたらす祝福を、皆さんと共により深く受け止めていきたいと思います。
群衆の中から叫んだ一人の女性
イエスが群衆の中を通って行かれるとき、一人の女性が声を張り上げて叫びました。その言葉を聞いてみましょう。
「イエスがこれらのことを話しておられたとき、群衆の中の一人の女が声を張り上げて言った。『あなたを宿した胎、あなたに乳を飲ませた乳房は、何と幸いなことでしょう。』」(ルカ11:27)
ある著者はこの場面を次のように説明しています。「母をたたえることは、間接的にその子をたたえることになる。つまり、『あなたの母親は、こんな素晴らしい息子を産んだことを誇りに思っているに違いない』という意味である。」
確かに、イエスの母マリアは祝福された女性でした。エリサベツは彼女について次のように語っています。「あなたは女の中で最も祝福された方」と呼び(ルカ1:42)、また、マリア自身も「私を幸いな者と呼ぶでしょう」と語っています(ルカ1:48)。改めて言うなら、私たちもこの名もない女性の言葉に、「確かに、マリアはイエスの母として祝福された」と同意するでしょう。
しかし、ここでのイエスの応答に注目してください。イエスはこう言われました。「いや、むしろ……」
マリアが神の御子を産んだ母として大きな祝福を受けたことは確かです。しかし、それを超える祝福が、マリアだけでなく、私たちにも与えられていることを、イエスは語られました。
さらに大きな祝福
ここからが大切なところです。私たちは皆、マリアが歴史上ただ一人、神の御子イエス・キリストの母として選ばれたことを、これ以上ない祝福だと心から認めるでしょう。その喜びと祝福の大きさを、ぜひ想像してみてください。私には、「最高の母親たち」の中でも上位に入ると思える、愛する母、妻、そして二人の祖母がいます。それでもイエスは、「あなたも、私も、マリア以上に祝福されることができる」と言います。
この点を簡単に流してしまうつもりはありません。どうか、少し考えてみてください。
では、あなたはどれほど祝福されるのでしょうか?それは、マリア以上です。
なぜそう言えるのでしょうか。それは、イエスご自身がそう言っておられるからです。
マリアが祝福されているという事実を語った名もない女性に対して、イエスは次のように、はっきりと答えられました。
「いや、むしろ神のことばを聞いて、それを守る人たちは幸いです。」(ルカ11:28)
「聞いて守る」とはどういうことか
細かいところまで目を向ける方もおられるかもしれません。実は、この祝福についても、そうした「細かいところ」に目を留めることが大切です。
では、イエスが語られた、マリアが神の御子を産んだことによる祝福を超える、特別な祝福の条件とは何でしょうか。
それは、神のことばを聞き、それを守ることです。
ここで、イエスの教えを要約している、ある注解者の言葉に注目してみましょう。
神のことばを聞いて従うかどうかが、種まきのたとえにおいて、実を結ぶか否かを分ける唯一の基準であった(ルカ8:15)。また、みことばを聞いて従うことこそが、単に肉親としての家族にとどまるのか、あるいはイエスの真の家族に加えられるのかを見分ける基準でもあった(ルカ8:21)。そして、神のことばを聞いてそれに従うことは、人生に入り込もうとする悪霊の攻撃を退けるために、イエスが示された指針でもある(ルカ11:24–26)。弟子としての歩みは、単に悪い習慣を取り除くことではなく、むしろ、心の空白をイエスご自身で満たしていくことである。イエスにおいて示されるみことばを聞いてそれに従うとき、生き方は、神の国の基準に照らして創り変えられていく。そして、神の国がそこにあるなら、ほかの国々や支配、別の主―すなわち、神に代わって人を支配しようとする力が入り込む余地はどこにもない。[1]
みことばを聞き、従うことは、驚くべき祝福をもたらします。
祝福はどこまで及ぶのか?
では次に、「みことばを聞いてそれに従うとき、その祝福はどこまで及ぶのか」という問いが浮かんできます。
イエスはこの箇所で、祝福のすべてを説明しているわけではありませんが、ここでは、いくつか挙げてみましょう。
- もしあなたが日常的に聖書を読み、それに従っているなら、それはあなたが神の子であることを示しています。ですから、みことばを聞いてそれに従うことによって与えられる祝福の一つは、永遠のいのちです。神の子でない者は、継続して聖書を読み、それに従い続けることはありません。
- みことばを聞いてそれに従うことによって、あなたは清い良心を持つことができます。つまり、イエスがあなたに何を望んでおられるのかを知り、それを実行する者へと造り変えられるということです。そうして、清い良心をもってイエスに心から「あなたを愛しています」と告白することができ、その愛はあなたの行いによってはっきりと示されるのです。
- さらに、みことばを聞いてそれに従うことは、罪がもたらす厄介な問題からあなたを守ります。これもまた重要な祝福です。あなたは、自分の罪が生み出す重荷や刈り取りに苦しむことなく、罪責感から解放された生き方を歩むことができるのです。
- さらに言えば、あなたは神の恵みを味わうことができ、神があなたに敵対して働かれる必要はなくなります。神がそのように働かれるのは、その人をへりくだらせ、御心に従わせるためです。しかし、みことばを聞いてそれに従うとき、あなたは神に近づき、そのご臨在を喜ぶことができるのです。
これは、ほんの始まりにすぎません。みことばを聞き、それに従う者には、さらに驚くべき祝福が待っています。
あなたは祝福を受けたいですか?
最初の問いに戻りましょう。あなたは祝福を受けたいですか。では、こう問いただしてみましょう。あなたは、イエスの母であることも超える祝福を受けたいですか。
もしそうなら、みことばを聞き、それに従ってください。
「聞く」とは、ただ耳で音を受け取ることではありません。聖書を読み、よく考え、説教や教えに耳を傾けながら、みことばを学び続けることです。つまり、みことばの学び手として、その意味を黙想し、日々の生活にどのように生かすべきかを考えていくことを意味します。 「従う」とは、みことばが求めていることを実行することです。みことばに示された生き方を貫く、ということでもあります。この言葉には、みことばを大切に守り、深く重んじるという意味が含まれています。では、どれほど深くでしょうか。それは、考え方、態度、愛、感情、言葉、そして行動のすべてにおいて、自らの意志をもって従うほどに、ということです。
[1] James R. Edwards, The Gospel according to Luke, ed. D. A. Carson, The Pillar New Testament Commentary (Grand Rapids, MI; Cambridge, U.K.; Nottingham, England: William B. Eerdmans Publishing Company; Apollos, 2015), 348–349.
【翻訳に関する留意事項】 本記事の日本語訳は、公認聖書的カウンセラー協会 (ACBC)の許可を得て作成されました。ACBCは本翻訳の作成を承認しておりますが、翻訳の正確性、完全性、あるいは表現の適切性については、一切の責任を負いません。 内容に相違がある場合は、英語の原文が公式な正本として優先されます。原文はこちらからご覧いただけます。
Translation Disclaimer: This translation is produced with permission from the Association of Certified Biblical Counselors (ACBC). While ACBC has granted permission for this translation, they are not responsible for the accuracy or quality of the translation. The original English text remains the official version and can be found here: Do You Want a Blessing?
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