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怒りを抱く心に言い聞かせる:「あなたは神ではない」
私たちは、怒りや自己中心的な誘惑に直面します。しかし、自分を神のような立場に置きたいという強い思いと戦わなければなりません。
「私は神ではない」という真理は、私たちを罪深い怒りから救い出す助けとなります。これは、創世記の物語の山場で、ヨセフが宣言した真理です。兄弟たちは、ヨセフが怒っているのではないかと恐れていました。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか」(創世記 50:19)。
同じように、新約聖書でもヤコブは、怒りにかられて争っている人々にこう問いかけています。「律法を定め、さばきを行う方はただひとりで、救うことも滅ぼすこともできる方です。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか」(ヤコブ 4:12)。これは、ヨセフの問いと本質的に同じ問いを、より詳しく言い表したものです。「あなたは神の立場にいるのですか。あなたが、唯一の立法者、さばき主、救い主、そして滅ぼす方なのですか。」
「私は神ではない」という真理は、さまざまな点で罪深い怒りに真っ向から対立します。この真理と罪深い怒りとのつながりについて、じっくりと祈りながら学び、思いめぐらすことをお勧めします。このブログでは、ヤコブ 4:12で示されている4つのカテゴリーに基づいて、いくつかの点だけを取り上げます。
1. 私は神ではないので、立法者ではない
怒りは、正義に関わる感情であり、私たちが悪や不当だと感じるものに対する自然な反応です。それは、自分にとって大切な何かについて、「道徳的に間違っている」と否定的な判断を下すときに覚える、強い不快感です。しかし、私たちが罪深く怒るとき、その原因は単に誰かが自分の思い通りに動かなかったから、あるいは自分の望みの邪魔をされたからであることが少なくありません(ヤコブ 4:1–2)。ではなぜ、自分の思い通りにいかないことを、悪や不正、道徳的な誤りとして捉えてしまうのでしょうか。
それは、高慢な罪人が自分を神の立場に置き、自分の望みがかなえられないことを、あたかも間違ったことであるかのように扱ってしまうからです。まるで、自分の意思が、他の人にとって何が善で、何が悪かを決める律法であるかのように振る舞うのです。
しかし、実際にはそうではありません。何が正しく、何が間違っているかを定めるのは、神ご自身です。もし自分の欲求が満たされないという理由で怒るなら、私たちは自分の願いや期待を、他者が従うべき神のみこころのように扱っていることになります。そして、それに従わない人を、悪を行う人や不正を働く人としてさばいているのです。
怒りを感じたときは、こう思い出してください。「私は立法者ではない。だから、他の人が私の望みどおりにしなかったとしても、それ自体が道徳的に間違っているわけではない。客観的に見ても、不正でも不公平でもない。善と正義を定める方はただおひとりであり、私はその方ではない」と。
2. 私は神ではないので、さばき主ではない
立法者は、何が悪であるかを示す基準を与えます。一方、さばき主はその基準を適用し、特定の状況において、その人が実際に悪を行ったかどうかを判断します。
ここで誤解してはならないのは、神は、私たちが他者について道徳的判断を一切やめることを望んでおられるわけではないということです。つまり、他者を見るときに、善悪について何も判断しない人や、善悪には絶対的な基準がないと考える人になるべきだ、という意味ではありません。
実際、神は私たちをご自分のかたちに造られた道徳的な存在としてくださいました。そのため、私たちは、たとえ判断をやめようとしても、善悪について判断せずにはいられません。むしろ、道徳的な評価をするときには、神が立法者である以上、神の基準に照らして判断するよう注意するだけでなく、自分が正当に判断できる範囲には限界があることも認めなければなりません。端的に言えば、私たちは、神が見ておられるようには見ることができず、神が知っておられるようには知ることができないのです。
罪深い怒りや苦々しさは、相手が何を考えているのか、何を動機として行動しているのか、また自分が見ていないところで何をしているのかを、事実として分かっているかのように決めつけることで強められることがよくあります。しかし、実際には私たちには分かりません。私たちは全知ではなく、人の心を見通すこともできません。私たちは神を神として認め、その方にさばきを委ねなければなりません。すべての心は神の御前であらわにされます。神こそ、唯一のさばき主だからです。
怒りを抱く心を戒めましょう。「ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです」(1コリント 4:5)。
3. 私は神ではないので、滅ぼす方・罰する方ではない
人は罪深い怒りを抱くと、しばしば復讐を求めてしまうものです。しかし、個人的な復讐をしようとするとき、私たちは自分を神の立場に置いています。「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの。わたしが報復する。』主はそう言われます」(ローマ 12:19)。悪を行う人への報いは、神のなさることです。神に委ねましょう。そして、神が正しく行ってくださると信頼しましょう。全地をさばくお方は、公正を行われるからです(創世記 18:25)。
私たちは神ではないため、自分で悪を行う人に報いようとすると、たいてい正しく報いることができません。ヤコブははっきりと述べています。「人の怒りは神の義を実現しないのです」(ヤコブ 1:20)。復讐心に任せて怒りをぶつけるとき、自分では正義を行い、物事を「正している」つもりかもしれません。しかし、実際には罪深い怒りによって、かえって不正を重ねてしまうことが多いのです。
言い換えれば、私たちが罪深い怒りに任せて相手を罰しようとするとき、悪を滅ぼして善を成し遂げることにはなりません。むしろ結局のところ、自分自身が悪を行い、そこにあった良いものを壊してしまう、あるいは少なくとも悪化させてしまうのです。
怒りを感じたときは、こう思い出してください。「復讐する者として振る舞う権利は、私にはない。そうしようとしても、本当の意味で物事を正すことはできない。なぜなら、私は神ではないからだ」と。
4. 私は神ではないので、救い主ではない
怒りではなくあわれみを受けるために、人が何をしなければならないのかを決めるのは、私たちではありません。神こそが救い主であり、私たちの救い主である神は、悔い改めるすべての人が、キリストのゆえにあわれみを受けると語っておられます。
ですから、キリストはこう教えておられます。「兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら、赦しなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい」(ルカ 17:3–4)。また、マタイ18章では、罪深い怒りにしがみつくのではなく、心から赦さなければならないことを、主は明らかにしておられます。そうでなければ、私たちは主の救いにあずかるのではなく、主の怒りに直面することになるでしょう(マタイ 18:34–35)。
すべての罪は、何よりもまず神に対するものであることを、私たちは覚えておく必要があります。ですから、神の義なる怒りから救い出されることこそ、私たちすべてが必要としている究極の救いです。神は、その道を備えてくださいました。キリストを遣わし、私たちの罪のためのなだめの供え物としてくださったのです。キリストが十字架でご自身を献げられたことにより、神の怒りはなだめられました。そのため、私たちは自分たちの悪についても、恵みによる無償の賜物として赦しを受けることができるのです。
怒りを感じたときは、こう思い出してください。「私は救い主ではない。神こそが救い主であり、なんと素晴らしい救い主なのだろう」と。ですから、神がキリストにあって私たちにあわれみを示してくださったように、私たちもあわれみ深くあるべきです。私たちは罪深い心を持っているにもかかわらず、キリストによって神のあわれみにあずかることができます。私たちは怒りの中で、高慢にも自分を神の立場に置いてきました。しかしキリストは、十字架の上でへりくだり、怒りを抱く罪人である私たちの身代わりとなってくださいました。
怒りを感じたときは、福音を思い出してください。へりくだられた救い主イエスの十字架の前に、低くひれ伏しましょう。そして、「私は神ではない」という幸いな真理のもとに、へりくだって身を低くしてください。そのようにして自らを低くするなら、罪深い怒りの根を引き抜き、神の恵みを受け取るために手を開くことができるようになります(ヤコブ 4:6)。神は、キリストの贖いによって与えられる恵みにより、神の立場に立とうとする怒りの罪を赦してくださいます。そして、神にさらに似た者となるように、あなたを強めてくださいます。すなわち、あわれみ深く、忍耐強く、怒るのに遅く、喜んで赦す者へと変えてくださるのです。
私たちは神の立場に立つことはできません。しかし福音を通して、神の心を映し出す者へと成長していくことができるのです。
【翻訳に関する留意事項】 本記事の日本語訳は、公認聖書カウンセラー協会 (ACBC)の許可を得て作成されました。ACBCは本翻訳の作成を承認しておりますが、翻訳の正確性、完全性、あるいは表現の適切性については、一切の責任を負いません。 内容に相違がある場合は、英語の原文が公式な正本として優先されます。原文はこちらからご覧いただけます。
Translation Disclaimer: This translation is produced with permission from the Association of Certified Biblical Counselors (ACBC). While ACBC has granted permission for this translation, they are not responsible for the accuracy or quality of the translation. The original English text remains the official version and can be found here: Remind Your Angry Heart: You’re Not God
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